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【広島】 原爆投下は「日本の植民地支配から解放」とのアジアの声が根強い…原爆資料館展示見直しに中韓などの委員を起用へ
◆資料館展示見直しに中韓の声 '07/5/31

 原爆資料館(広島市中区)を運営する広島平和文化センターのスティーブン・リーパー理事長は30日、館の展示内容を見直す検討委員会に
中国、韓国人らアジア出身の委員を起用する方針を明らかにした。
リーパー理事長は中国新聞のインタビューに、「原爆投下を『日本の植民地支配から解放した』と肯定する考えが根強いアジアの声に触れながら議論を深め
多民族が共感、納得できる施設にしたい」と述べた。

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これはひどいわ。
つーか理事長がアメリカ人て。
http://blog.livedoor.jp/dqnplus/archives/981867.html
author:とんちゃん, category:社会, 10:49
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哲郎くんを救う会
哲郎くんを救う会

福岡県太宰府市在住の江口哲郎君(9歳)が拡張型心筋症のため、九大病院に入院中です。
すでに補助人工心臓をつけていますので、早急な心臓移植手術がひつようです。
しかし、国内で受けられる可能性はほとんどありません。幸いドイツのハノーバー医科大学が 受け入れをしてくれることになりました。しかし、そのためには、渡航費・移植手術費

(海外では健康保険も適用外)、滞在治療費等で8千万円という膨大な費用がかかります。

 そこで本会を結成し募金活動をすることにしました。

「もう一度、家族そろって一緒に暮らしたい」それが家族の願いです。哲郎くんは懸命に 病気に立ち向かっています。皆様の温かいご理解とご支援をよろしくお願い申し上げます。

<郵便局>
     郵便振替: 01730-2-110889 
     加入者名: 哲郎くんを救う会
  <銀 行>
口座名: 哲郎くんを救う会 

        テツロウクンオスクウカイ      
   口座:  (_銀行 太宰府支店 普通預金 1109255
         フクオカ ダザイフ  窓口でのみ手数料無料
        ∪焼本シティ銀行 太宰府支店 普通預金 0786524
         ニシニツポンシテイ ダザイフ 窓口でのみ手数料無料
        三井住友銀行 福岡支店 普通預金 7172060
         ミツイスミトモ フクオカ 窓口・ATMとも手数料無料

会社にチラシと募金箱がきた。
同じ地元民としては協力せねば。
心有る方はどうぞご協力を。
続きを読む >>
author:とんちゃん, category:社会, 17:47
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硫黄島レポ
私の会社の本部の知り合いを、とある方が遺骨集集団に加えてくださったそうで
民間人は通常立ち入りできない硫黄島へ行って来たそうだ。
以下転載。

硫黄島の基礎知識はこちら



 

 今年は日露戦勝100周年であると同時に、大東亜戦争の敗戦60周年という節目の年。現在の平和と繁栄は、先人たちの辛く悲しい多大なる犠牲の上に成り立っていることを忘れてはいけない、と常々先輩から教えられてきた。
 2月23日、私は東京の南1250km南海の離島、硫黄島の摺鉢山(すりばちやま)に立っていた。
 10年来の望みでありながら渡航手段が自衛隊機のみであり、民間人は殆んど行くことができないとされている玉砕の地「硫黄島」に、思いがけないきっかけで訪れることができた。
 当欄をお借りし、そこで私が見たもの、感じたもの、そして知り得たものを数回に分けてお伝えしてみたい。

<硫黄島の闘いとは>

 60年前の昭和20年2月19日、日本本土侵攻をめざして太平洋を北上する米軍は、この小島を戦略上の重要な拠点と考え、強力な海軍、空軍の支援の下に米国海兵隊による上陸作戦が敢行された。2月23日とは、硫黄島の唯一の高地摺鉢山(169m)の頂上に米海兵隊員が星条旗を押し立てた日である。ワシントン近郊のアーリントン国立墓地に建つ「硫黄島メモリアル」として有名なブロンズ像は、この摺鉢山においてAP通信の従軍特派員ジョー・ローゼンソールによって撮影された写真に基づくもので、アメリカにとって太平洋戦争を象徴する重要なシーンなのである。
 なぜなら、硫黄島での闘いは世界戦史上例をみない、戦勝国の被害(米、戦傷死者28,686名)が敗戦国(日本、戦傷死者20,933名)を上回るほど、苦戦を強いられた戦いであったからである。
 一方、硫黄島で闘った日本兵士たちは、勝つどころか、生還の望みもない中、自分たちの抵抗が少しでも本土空襲を妨害し、本土決戦を遅らせることになると信じ、食料も水も不十分な灼熱地獄ともいえる地下壕陣地において最期まで闘い抜いたのである。

 実際、米軍が5日で陥落するとした硫黄島で1ヶ月以上にもおよぶ日本兵士の勇猛果敢な闘いぶりによって、米軍はその後の作戦変更を余儀なくされ、本土への空襲も激減させた。換言すれば、自分たちの生命と引き替えに、多くの日本国民を空襲から救った1万9900柱にも及ぶ硫黄島の英霊、人柱によって現在があるといっても過言ではあるまい。
 60年後の現代を生きる我々青年に課せられた義務は、彼らの霊を衷心から弔うと共に、彼らの殉じた志と大義を高い次元で受け留め、現世をより善きものとして次の世代に継承し発展させることである、と私は信じている。

<いざ、硫黄島へ>

 2月23日早朝、私は埼玉県の入間基地より航空自衛隊C−1輸送機に乗り込んだ。民間の航空機とは違い窓もほとんど無く、外の景色など全く見えない座席である。座席といっても、厚い布と鉄パイプで作られた3人がけの簡単なシート。それが通勤電車の様に胴体側面にずらっと並んでいるだけで実に頼りない椅子である。進行方向に対して横になって飛行機に乗る初めての経験でもあった。
 もちろん気の利いた機内サービスなどは一切なし。すさまじい爆音に、隣の人との会話もままならず、エンジンから出る油臭い匂いのせいで持参した資料を読むにも気持ちが悪くなってしまうほどであった。
 8時30分に入間基地を離陸してから約2時間、念願であった「硫黄島」に私は降り立った。南海の眩しい日差し、あまりの暑さにまずは面食らう。2月だというのに外気温は約30度、出かけたときの本土の雪化粧が恋しくさえ思える暑さであった。四方は見渡す限り太平洋の大海原に囲まれ、雲ひとつない抜けるような青空。
 かつて壮絶な闘いが繰り広げられた玉砕の島「硫黄島」が、いまは嘘のようにただひっそりと静まり返り、かすかに波音だけが鳴り響いていた。
 到着後、硫黄島基地司令と挨拶、しばし説明を受けた後、自衛官の案内で天山台地にある日本戦没将兵慰霊碑へ。そこで英霊に対して衷心からの感謝と御冥福をお祈りし、私は父親仕込みの「正信念仏偈」を読経させていただいた。慰霊碑に手を合わせ、戦禍に散った人々に思いを馳せる中で、「硫黄島に来たのだ」という実感が沸々と湧いてきた。



 一旦宿舎に戻った後、島内巡拝。以前述べた「硫黄島戦40周年記念慰霊碑」や栗林忠道陸軍中将の司令壕、西戦車隊長戦死の地、また数々の地下壕やトーチカで手を合わせ、お線香を焚かせていただいた。そして、60年前の同日、島の周り全てを敵艦に囲まれ、1発大砲を放つと1000発の砲弾が返ってきたとさえいわれる、あの激烈な戦闘があった摺鉢山の頂上に立ち黙祷、慰霊鎮魂の祈りを捧げさせていただいた。
 一周するのに車なら1時間とかからない小さな島。しかし、この島には未だ1万人以上の英霊が放置されているという。いま立つ足元にもまだ遺骨があるかもしれない、絶対に踏みつけてはならじと、心なしか歩みも慎重に。やがて夕方、巡礼を終え宿舎に戻って来た。
 そもそも今回の渡航は、厚生労働省の遺骨収集団の末席に、ある方の計らいにより2泊3日の日程で特別に加えていただいたものである。翌日からの2日間、塹壕にもぐり実際に遺骨収集をさせていただいた体験は次号をお読みいただきたい。それは英霊の御遺骨を手のひらにお載せしたその瞬間、敗戦を境に戦前と戦後を分けた、いわゆる「断絶史観」とでも呼ぶべきものが一瞬にして消滅し、歴史というものが迷いも無くピシャッと繋がったような不思議な体感でもあった。
続きを読む >>
author:とんちゃん, category:社会, 11:31
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行方不明の女児を探してください。
一刻も早く情報を広めてください。

http://blog.livedoor.jp/haneda2/tb.cgi/17477212

小学5年生11歳の娘が3/16から行方不明になっています。
平成17年3月16日水曜日、夕方、仙台駅前LOFT近くで友人と別れたあと、自宅に戻っていません。
このとき、家出をしたいと言っていたそうです。
警察や学校の先生なども気にして探してくれていますがまだ見つかりません。
立ち寄り先もなく、行方が大変心配です。

名前は羽田つぐみ。当て字で亜魅と書くこともあります。
身長150センチ弱、体重40kgくらい 色白でどちらかというと痩せ形、黒髪で短めなストレートヘアで多分お化粧をしています。
小学5年生にしては大人びて見えるかもしれません。
当日の服装は、ベージュのコート、チェックのミニスカート、焦げ茶のロングブーツ、ペンダントやイヤリングなどのアクセサリーを身につけていました。
額から左眉にかけて縦に子供の頃怪我をした傷跡が薄く残っています。
お心当たりの方は、最寄りの交番・派出所・下記連絡先までご連絡ください。どんな些細なことでもけっこうです。
どうかよろしくおねがいします。
仙台南警察署 生活安全課 022-246-7171
haneda@harurun.net

author:とんちゃん, category:社会, 14:04
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新しい歴史教科書
誤解を恐れずに言えば、私の思考は現在の日本の風潮からすると、完全に右よりだと思う。
日本は大好きだし、愛国心という言葉を使うにあたって何の躊躇も無い。


日露戦争から第2次世界大戦までの日本軍の話が好きだ。
他がそれを戦争美化と呼ぶならそれも大いに結構だが、何も知らないうちにそれを口にはしないで頂きたい。
言うは易し、である。
美談だと語り継ぐには余りある学びがそこにある事を知らないだけだと感じている。


現代の若者は・・・と言わず、戦後の教育を受けた者であれば
現代の日本人に反日精神が存在していても何らおかしくはない。
日教組の反日教育は半端ではなかった。
教師同士の抗争、と言って過言ではない争いがあった事も聞いている。
今までの私達の学校教育から日教組は切っても切り離せない。

思想教育はどうだと言いながら、日教組は共産党、完全なる左翼だ。

私達はその、左翼教育の元、育ってきたのだ。
反日精神は不思議ではない。
子供の頃からの教育の影響は大きい。



直接名前を挙げることは控えるが、小学校の通信簿に愛国心を評価する欄ができたからと言っては戦争に繋がると言って騒いでいる団体がいる。
ああいったマスコミで取り上げられる事というのは、もちろんそれだけではないが金さえあればどうにでもなるし、何らかの形で他から多大な影響を受けているという事を頭の片隅に置いて欲しい。

人権擁護法(案)がいい例であろう。
これは政府側がマスコミに報道規制をかけたのだ。
小泉首相が郵政民営化と引き換えに人権擁護法を通すと言う駆け引きが裏で執り行われていた為に、郵政が民営化した今、この法案を通さないわけにはいかないので
必死だったのである。(現在は当面阻止)
※ 人権養護(言論弾圧)法案反対
※ サルでも分かる?人権擁護法案


こういった取引は他にもある。
国旗とジェンダーフリーだ。
これも裏で取引が行われていたと言う。

驚く事に、国会ではこういったことが当たり前に行われていると言う。



情報操作はどかで必ず行われている。
マスコミは、視聴率が上がり、販売部数が伸び常に大衆の関心を引きつけなければならない。

高橋尚子選手が良い例であろうが、国民的アイドルとまで言われるほどマスコミに取り上げられ褒め称えられた後、何か示し合わせたかのように一斉に高橋尚子選手を叩き始めた。

こうする事で、より長く関心を集められるからだ。



前置きが長くなったが
これが今、歴史教科書の問題で顕著に表れている。
すでにこの問題について周知の事だろうから、詳しく書くことは控えさせていただくが、歴史教科書(他7社)の内容がどうなっているのかという事だ。
知らないでは済まされない内容であることをご存知だったろうか。

新しい歴史教科書を作る会が大変苦労しているようだ。
一部抜粋、引用させてもらう。
少し長いが、大切な事なので是非一読していただきたい。

 扶桑社版の検定が通りそうだと分かった2月に、朝日新聞は中韓両国に干渉と妨害を誘う一大キャンペーンを行った。以来、両国ことに韓国の干渉は、周知の通り日を追うごとにエスカレートし、青少年の交流中止だけでなく、地方自治体の長への、各友好都市市長からの扶桑社版不採択の要請、在日韓国人団体の直接的反対運動など、内政干渉の域をはるかに超える過剰な行動が相次いだ。

(中略)

 教育委員会の開催日には、かり出された自称市民の活動家たちが人の手の輪をつくり、会場になだれこみ、怒声をあげ、自分の思う通りにならない教育委員を誹謗するチラシを駅頭や戸口でくばり、ついにカミソリの刃を教育委員の自宅に送り届ける異常行動にまで及んだ。いったん扶桑社版が多数決で採択された栃木県下都賀地区では、教育委員長の老母を闇夜に階段から突き落とすという脅迫電話まであった。

 その間も韓国からの威嚇報道はタレ流し状態で、NHKはいかにも価値観を入れないかのごとき客観的報道を装いつつ、韓国からの脅迫ニュースをトップニュースで流しつづけ、現実には扶桑社版を暗に不採択にする妨害工作に全国規模で加担した。

 そのような状況下でついに去る8月7日午後11時50分すぎ、つくる会の事務所が放火されるというテロ事件が勃発した。以来この重大な言論の危機について、マスコミからは激しい非難の声が湧き立つのかと思うとそういうこともなく、その後に行われた各地の教科書採択はいかにも合法的な決定であるかのごとき取り扱いがなされている。

 ひごろ民主主義と言論の自由を口にするマスコミの二枚舌はいかにも許しがたい。暴力事件はさながらなかったかのごとく扱われている。しかしテロ事件以後の採択において、もろに恐怖の影響下に決定がなされた事実をわれわれはつきとめている。

 しかも全国を我々の知り得る範囲で調査した結果、教育委員会が採択権者であることは往々にして無視され、各自治体の行政が採択の実権をにぎっている実態が明らかになりつつある。ことに地方では厳正かつ公正な採択が教育委員会に委(ゆだ)ねられているという文部科学省のひごろの主張は絵に画いた餅にもほぼ等しい。

 実際には教育長を中心に各自治体の行政が教科書の内容で選ぶのではなく、日教組組合員の教師たちの意向を最大に尊重し、加えて外国の脅迫、一部マスコミの偏向キャンペーン、組織的な電話ファクス攻勢におびえ、ただ単にトラブルにまきこまれたくないというそれだけの動機で、扶桑社版教科書を差別的に扱った実情が判明している。

非常に腹立たしいのは私だけであろうか。
内政干渉も甚だしい。

※ 全文を読みたい人はここへ


産経新聞のコラム「産経抄」2005/3/15の一文もこれに関連して引用する

 検定中の教科書、いわゆる「白表紙本」がまた外部に流出した。「新しい歴史教科書をつくる会」のメンバーらが執筆した扶桑社の中学校歴史・公民教科書である。先週、琉球大学の教授らが記者会見で明らかにしたのだが、これには奇妙なことが多すぎる。

 ▼扶桑社側が採択活動のため部外者に渡した、とこれまでも「つくる会」を批判してきた教授は主張する。そう言いつつ自身が、会見に出ていた内外の報道陣に白表紙本のコピーを配っていた。なぜか本紙以外の新聞は、この事実に触れていないが。

 ▼この教授はさらに、最新号の『週刊金曜日』に「独占入手!」と銘打って、教科書の内容を報告した。会見と同じ日には韓国メディアが一斉に教科書の内容を報じて、反日キャンペーンを開始している。この符合は何なのか。

 ▼扶桑社の教科書をめぐっては、平成十二年度にも同じような騒ぎがあった。白表紙本を入手した朝日新聞と毎日新聞が内容を報道すれば、「つくる会」に敵対する団体が公然とコピーを販売する。それらの動きに呼応するように、中国と韓国が、検定不合格を求めてきた。

 ▼今回の流出について教授は、文部科学省に調査と扶桑社の教科書を検定からはずすよう、求めているという。ここまでくると気づくが、なんだか段取りがよすぎやしないか。そもそもこの人は故家永三郎氏に続き、「検定は憲法違反」と訴訟を起こした人物である。

 ▼高校の教科書検定で、記述の修正を迫られて執筆を断念、「表現の自由が侵された」というのだ。自分の教科書を合格させない検定は違憲だが、気に入らない教科書は合格させないよう圧力をかける。今回の流出事件と同様、奇妙ではあるが、意図がわかりやすい人であるようだ。

実に汚い、そして捻じ曲がった情報があたかも当然の正義の如く国民へと発信される。
正確な、そして公平な情報など、この世には存在しない。
それを見極める目が、現代の日本人に必要なのではなかろうか。
author:とんちゃん, category:社会, 10:47
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忘年会
忘年会のシーズンですね。
今年は私も2回、忘年会です。
1回目は明日(12/22)ていうか今日だけど。

2回目は12月25日。


え?12月25日?

12月25日ってクリスマスですか?クリスマスって何ですか?;;
ていうか聞いてないし、若手の後輩も聞いてないわけです。
ホラ、何ていうかさ、聞かない?普通。

「この日にちに決まったけど良いかな」

とか

「この日にしようと思うけど都合どう?」

とかね。



えと…言った!言いましたよもちろん!!
だって、後輩とかすごい嫌そうな顔してたし。

「え?ていうかクリスマスなんですけど?」

って。

「若者がクリスマスに予定がないわけないじゃないですか」

って。


そしたらさ



「だって常務がその日しか空いてないんだもん」


「だもん」て。
52にもなったおばさんが「だもん」て。いや別にいいけど。

後輩が(予定があるらしく)困っていたので、メールには「断ってもいいんだからね」と打って送っておきましたけど。
ていうか後輩のメールが可愛すぎる。

「色々とあるとです。」

と言っていた。

カワイイ
author:とんちゃん, category:社会, 00:23
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尖閣諸島
今日は尖閣諸島のお話をしますです。
尖閣諸島とは

●沖縄県石垣市
●総面積/約6km2
●人口/無人諸島

尖閣諸島は、魚釣島、北小島、南小島、久場島、大正島の5島と、沖の北岩、沖の南岩、飛瀬岩の3岩礁からなる。



・1895年(明治28年)日本政府が尖閣諸島を領土として編入。
・1969年(昭和44年)東シナ海の大陸棚に石油資源の可能性あることが指摘される。
・1971年(昭和46年)台湾、中国が大陸棚に対する領有権を主張。
・1972年(昭和47年)沖縄返還に伴い尖閣諸島の施政権が日本に戻る。日中国交正常化。
・1978年(昭和53年)日中平和友好条約調印。
・1996年(平成8年)日本の右翼団体が灯台設置。これに対して中国が抗議する。
・1997年(平成9年)新進党衆院議員らが魚釣島に上陸。香港や台湾などの船が抗議活動をする。排他的経済水域の設定に伴う日中新漁業協定の調印(尖閣付近は対象外)。
・2004年(平成16年)中国の活動家7人が魚釣島に上陸。沖縄県警が逮捕の後、中国への配慮もあり強制退去処分になる。


尖閣諸島は日本のものです。
尖閣諸島を領土として編入したのは下関条約の3ヶ月前です。外務省のHPにも載ってます。
中国側は「下関条約で尖閣諸島魚釣島(向こうでは釣魚島と言っているらしいですが)を取られた」と主張しています。

尖閣諸島調査したのは福岡県(現在の八女市)出身で、大阪に渡った後、沖縄で貿易を始めた人が尖閣諸島の魚釣島で生息していたアホウドリの羽毛に目をつけ
それも商品にしていました。
そういう実績を買われ、政府に依頼されて無人島かどうかという事を調査したのですが、その後、その方が亡くなって、息子が家業を継ぎ、その息子が魚釣島を譲って欲しいと政府に申請し、魚釣島はその人個人のものになりますから、あすこは私有地です。
第2次世界大戦後、沖縄がアメリカだった頃、アメリカは魚釣島の持ち主に何百ドルという借地料を何年にも渡って日本に返還されるまで払い続けます。
それから魚釣島に中国の船が座礁して、その方(息子)が乗組員を助け、船を直し中国へ返します。
それに対する感謝状が、中国政府から正式に届きます。
その宛先は、日本尖閣諸島でした。
その時点で中国は尖閣諸島は日本だと認めているわけです。
その後、その方は亡くなり、奥様が亡くなられる時に、奥様の親友へその島を譲渡します。
その方は今でもきちんと税金を払い続けており、現在魚釣島はその方の私有地です。
この人、すごい国際問題に巻き込まれてますよね。

来年度、日本政府は調査船の予算を組みます。
続きを読む >>
author:とんちゃん, category:社会, 11:23
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